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zoom RSS スピリチュアルにハマる人、ハマらない人 香山リカ 幻冬社新書

<<   作成日時 : 2007/01/11 00:55   >>

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画像スピリチュアル・・・ブームですね。
図書館でも、非常に人気が高い。私は「オーラの泉」もほぼ
見たことのないスピリチュアル音痴ですが、人気がある、という
ことは知っている。そのメンタリティについて書いた本です。

「宗教」というのではない、「スピリチュアル」という言葉の軽さ。
積極的な現実、つまりお金などに対する明るい肯定感。
明るく、華やかに、優しくなった超自然の世界・・・。
その受け入れやすさに、ますます生き難い今の時代に悩む
人々がなだれ込む。そこには、オウムの時に人々が感じたような
恐怖も違和感もなく、流行の服をまとうように「オーラ」と「前世」を
信じる・・・。

私はどちらかというとスピリチュアルにハマらない人間であると思う。
幼少期から思春期にかけて、非常に信仰熱心な母親に常にいろんな
ことに引っ張り出されていたが、とうとう拒み通した人間である。
私は、立っているのが好きなのだ。ラクだから坐りなよ、と言われても
立って、自分の足であちこち行って、自分の目だけであれこれ確かめたい
人間。宗教、スピリチュアル、という誰かの、特定の目と考え方から世界を見るのは
イヤなのだ。頑な、とよく母に言われたが、これは体質のようなもので
仕方ない。皆が一様に信じることを返って疑いたくなるひねくれ物とも
いえるのかも。しかし、この本に書かれている、今の時代の宗教観というものは
ちょっと面白い。

人がスピリチュアルに惹かれる気持ちは、一時代前、若者がオウムに引寄せ
られた気持ちを地続きである、と筆者は言う。むなしい病が人に心に巣くう
ところが根本になることは、同じだと。しかし、皆そこを直視しようとは
しない。それは、そうしたほうが、ラクで、気持ちがよくて、心地いいから。
難しいことは考えたくない。だって、それでなくても生きているのはしんどいもの。
それなら、この綺麗なスピリチュアルの世界でわかりやすい答えを見つけて
なごんだほうが得だもの・・・。
これって、なんだかよくわかるのである。
かっちりした宗教は嫌われる。だって、かっちりした宗教には、様々な奉仕や
義務や、自己犠牲がついてまわるから。そして、宗教を真剣に実践しようとすると、
これはもう一生を賭けるほどの大変なことなのである。そこにまで突っ込んで
いくのは、恐ろしい。つまり、自分が気持ちいいことが
一番、という「気分」が一番先にあるということで・・・。
う〜ん。昔、「奇跡」なんぞを求めて母の信仰するところの教祖さまの前に
引っ張り出されたとき、その恐ろしくいたたまれない気持ちとともに、
「これでもし奇跡なんてものを目にしてしまったら、どうすりゃいいねん」
という面倒くささも自分の中に多分にあったことなどを思い出して苦笑してしまった。
コワいと思ったのは、こういう気分は、スピリチュアルだけではなく、あちこちにあるもので・・。
結果のすぐ出るものにしか興味がなく、本質からはすぐ目をそらそうとする、
その時代の「気分」のようなものが今大きいということはよく覚えておかなあかんな、と
思う。

しかし、超自然やオカルトが好きなのは、けっこういつの時代もあることではある。
その昔、オウムより前、宜保愛子ブーム、なんてのもあった。
あの時、「徹子の部屋」なんかにも出てはったのも覚えてる。
そして、ユリ・ゲラー、なんてのもあった。スプーン曲げたり。しませんでした?
私らの世代に一番影響を与えたのは、「ノストラダムスの大予言」でしょう。
小さい頃、マジで1999年で世界は終わるかと思ったもんです。
その時代、時代にもてはやされるスピリチュアルは常にある。
こう考えると、ブームとして消費されるスピリチュアルと、犯罪にまで
発展したオウムはどこが違ったのか、そこを検証すべきか、とも思う。
そのあたりの詰めは、少し甘い。そして、もうもう一つ引っかかったのは、
今のブームのさきがけとして森絵都さんの「カラフル」の流行を下地に
あげておられるのだが。「カラフル」は確かに有名な作品だが、今の
スピリチュアル現象が、その「カラフル」によって作られた、というのは
少し極論なのではないかしら。母体の大きさが違いすぎる。
「生き返り」というくくりだけでそれを論じるのは、無理があるだろう。
そして、あの作品は、生き返りといえばそうなのだが、やはりたった
一回だけの人生を生きることの大切さを感じる作品であるし。

そもそも物語に心を開くということと、スピリチュアルを無条件に受け入れることは
違うのではないだろうか。小説はたくさんのフィクションに満ちている。
それこそ、ファンタジーなどは、設定も何もかも、何でもありの世界だ。
それに向かって心を開き、物語世界を受け入れることと、人様の唱える
スピリチュアルを頭から受け入れることは、違うことだと思う。
物語に心を開くということは、そのフィクションを通して書かれる人間の
真実や心のありのままの姿を、自分だけのものとして思い描き、考えて
いくことだからである。自分以外の人の書いたものではあっても、その
作品世界は、自分だけのものであり、物語を読むということはきわめて
能動的な作業であると私は思う。自分の心や、村上春樹の言葉を
借りるなら、人間の無意識の領域に耳を澄ますこと。
その営みを、スピリチュアルと同じだと論じることには無理があると思う。
もちろん宗教もスピリチュアルも、それこそ善悪や是非の二元論で割り切れない
大きくて複雑な側面を持つものだということはわかっているし、それを
否定するわけでもない。それだからこそ、もっと大きな視点でかたるべきもの
だと思ったのである。

まあ、お題があって後から論をつけたかな、という感じもありますね。
しかし、今自分が感じているスピリチュアルというものに対しての
ちょっとした懐疑的な気持ちを読み解くのには、面白い本だった。


おいしい本箱 http://www.oishiihonbako.jp/detail.php?book_no=001172


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民主党党首辞任との速報が・・・。 ・・・いったい、何があったんでしょうね???... ...続きを見る
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2007/11/04 21:28

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