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zoom RSS ヴァレンタインズ オラフ・オラフソン 岩本正恵訳 白水社

<<   作成日時 : 2011/07/05 21:48   >>

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画像白水社さんから出る本って、何となく得点が高い、というイメージがある(笑)そして、この本も期待にたがわず面白かった。人生の中で、どうしようもなく壊れていくもの、変わっていくものがあるという苦い事実が、淡々と丁寧に綴られます。それはもう、非常に淡々と。壊れてしまえば、壊れるしか無かったのだと思えることも、そのきっかけはほんのささいな事だったりします。特に人間関係・・・夫婦や恋人という関係においては特に。でも、そのささやかな棘の影には、押し隠してきた感情やすれ違い、つまり変えようのない過去が積み重なっているもの。その重みが、ぱりんと音をたてて人生の流れを変える時が、見事に12の短編に結実されています。読んでいて、妙に身に詰まされてしまう。自分の中にも、この物語の中の彼と彼女のような棘が幾つも潜んでいるのを感じます。その棘を、そっと撫でてちくちくする感触を感じているような。誰の人生にもあって多分一生語られないことが、物語として綴られることによって特別な輝きを帯びる。それが、小説が「小さい話」であることの美味しい果実であると、こういう物語を読むと思う。

しかし、人間ってほんとにどうしようもなく過去に囚われてしまうものですね。昔、栗本薫さんがエッセイに自分の記憶について書いておられたことがあって、それによると、彼女は「忘れる」ということが全く出来なかったらしい。誰かとの会話の一言一句、その時の光景、自分の感情、そんなものを逐一覚えてらしたとか。それは非常に苦しいものだと書いておられた。過去に自分が傷ついたことも、苦しかったことも、その時の気持ちのまんま、追体験して忘れることが出来ない。それは、想像するに何度もフラッシュバックに襲われるようなものだろうと思う。もっとも、栗本さんは、あの膨大な『グイン・サーガ』も、一切ノートやメモもなしに、全て自分の脳内におさめてらしたらしいので(記憶違いならごめんなさい)小説家として、その資質はかけがえのないものだったとも思いますが。
私なんぞは、記憶力はそれほどでもないくせに、やっぱり過去のことをあれこれ凄く考えます。そして、思い出すたび、考えるたび、少しずつ記憶は変容して自分だけの感情と結びついて、多分事実からまた違ったものになっているのだろうと思います。過去と未来、という時間軸に囚われて生きている私たちにとっては、その積み重ねが「自分」であると思っている。でも、こういう物語を読むと、その自分の奥底に、もう一つの自分が巨大化して眠っている。そしてゴヤの夢魔の絵「理性の眠りは妖怪を生む」のように、あるとき、ひょっこり顔を出す、ということがとてもリアルに感じられるんです。

例えば、「一月」の物語。愛に臆病なスミスは、モーリーンという恋人が離れていこうとする時に、いろいろと理屈をつけて彼女から身を引く。「自分の愛は十分ではないのかもしれない」「ほかの人ならもっと情熱的に愛せるのかも」それは、一見彼女のためを想っての言葉に見えるけれど、実はそうではない。要は、怖いんですね、自分が傷つくのが。だから、すぐに線を引いてしまう。でも、そこは自覚していないんです。彼女のために、自分が身を引いた、という過去に彼の中ではなっている。ところが、出張のついでに(この、ついでに、というのがミソですね)連絡をとって10年ぶりに逢った彼女の言葉は、その過去が彼女から見ると全く違うものだったという鋭いナイフをスミスに突きたてます。この短編、語り手はスミスなのに、なぜか私が感情移入したのは、モーリーン。ほとんど語られない二人の時間の中で、モーリーンがどんなにスミスの勝手さや頑なさに傷ついたかがよくわかるんですよ。短い言葉の中に、上手く過去を想像させるエピソードを上手く盛りこんであるからでしょうね。

この短編たちは、すべてささやかな場所から始まって、雪だるまが転げ落ちるように、取り返しのつかない場所まで読者を連れていく。そして、連れていかれたことに、物語の主人公ともども呆然してしまう(笑)あー、やっちゃったなあ、っていう想いと、壊れてしまったことへの安堵というか、諦念というか・・・正直な自分を見ちゃったよな、こんなもんだよなあ、自分って。アホやん、という突き放した客観視が顔をもたげているようにも思えます。だから、彼らは何かを壊してしまったり無くしてしまったりしたのだけれど、これはまた、ここから何かが始まる、ということでもあるんですよね。終わりじゃない。始まり。その、終わりと始まりの、ほんの一瞬のあわいを見せてもらった気がします。これから、彼らはどうするのかなあ・・・生きていくんですよね、青息吐息でも。ああ、人生って誰も同じだねえ、と心からしみじみする一冊でした。
この作者は、アイスランド出身。そのせいかなあ。纏う空気感がとても静謐なんですね。そこもまた魅力的でした。

2011年4月刊行
白水社

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『ヴァレンタインズ』 オラフ・オラフソン著 岩本正恵訳 (白水社)
<アイスランド人作家によるOヘンリー賞受賞作を含む12編からなる恋愛短編集。特筆すべきなのは、いずれも甘い内容じゃなくって身につまされる内容であるということ。 恋愛をモチーフにして“人生を描いている”っていう感じですね。> ...続きを見る
続 活字中毒日記
2011/09/20 18:20

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ERIさん、ごぶさたしております。
いつもながら素晴らしい感想ですね。
私もこの作品大好きです。
訳者の岩本さんの文章がもともと好きで、この作品集の訳文もよく書けてると思います。
なかなか読書する時間が取れなくて残念なのですが、感想を参考にしてまた読ませていただきますのでよろしくお願いします。
トラキチ
2011/09/20 19:58
>トラキチさん
お久しぶりです。面白い短編集でしたねえ。
確かに岩本さんの翻訳は見事でした。こういう襞の細かい小説を訳するのは、きっとさぞかし大変だろうと思います。
私も、最近読書しようと思うとあちこち体に不具合が出るという悲しい状況が(>_<)
でも、こつこつと書いていきたいと思いますので、こちらこそよろしくお願いいたします。
ERI
2011/09/25 00:10

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