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zoom RSS 氷山の南 池澤夏樹 文藝春秋

<<   作成日時 : 2012/05/11 01:31   >>

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画像少年(正確に言うと、少年と青年の間ぐらいか)を主人公にした、成長・・ではなく、教養小説です。なぜ成長ではないかというと、この物語の主人公JINには、成長痛がないから。彼は感じ、学び、受け取り、貯めこんだ分、みごとに広がっていく。子どもと大人の境目にいる年齢の青年が、ある特殊な環境の中に放り込まれることで、そこにいる大人たちからたくさんのことを学び、人生とは何ぞやと考える。読者は、その筋道をたどりながら、様々な思考の流れを楽しむ、そんな小説ではないかと思います。例えば、トーマス・マンの『魔の山』。黒ビールのせいか、いつもぼんやりと暮らしていたハンス・カストルプが、スイスのサナトリウムで人の生死や恋や思想に触れ、様々な思考を巡らすようになる。JINくんは、ハンスほど悶々としませんけども(笑)

JINが密航する船は、サナトリウムのように彼を縛りはしないけれど、隔離された小さな社会、という意味では同じですね。南極の氷をオーストラリアまで運んで、水資源として供給するという、一大プロジェクトのために集められた人たちは、人種も年齢も職業も宗教も様々。詩人や、オペラ歌手まで登場する。JINは、船内新聞の作り手として、船内を自由に動き、誰からも自由に話し、「聞く」ことが出来る。彼は「聞き」、それを読者に伝え、問題提起をしていく存在なのだ。先にこの本を読んだ息子が、「ここに出てくる南極は、全く寒そうじゃなかった」と言っていた。確かにね(笑)でも、これは『極北で』(ジョージーナ・ハーディング)のように、文体や情景描写で、ギリギリの所にある「命」を、感じさせるような小説ではなくて―あくまで「人間」が、他の人間と自然から何を学ぶのか、というところに主眼を置いたものなのだと思う。JINと同年代の若い子が読むと、JINの引っ掛かりのなさに、「どこにおんねん、こんなヤツ」と思ってしまうかもしれないけれど、多分彼はこの物語のタグ・ボート・・水先案内人なのだ。氷を曳航するための科学技術の蘊蓄のあれこれ。そこここに顔をのぞかせる、美術や音楽のエピソード。様々な国のエンジニアたちが祖国を語る。そして、南極で試された冒険者たちが語られる。一隻の船から広がっていく時間と空間を味わっていくのは、思ったよりも楽しかった。民族、資本主義、宗教・・私たちが抱える問題への問いかけがあちこちに隠されている。船は、世界の縮図を抱えて航海していく。そのスケール感は、世界文学全集の編者としてさすがだなあと思う。

この物語のもう一つの主眼なのは、自然と人間がいかにして折り合っていくべきなのか、というところだ。はるばる南極から氷山を引っ張って水を供給する、という行為は、是か非か。何万年もかかって形成される氷山に対する敬意が、この物語の中で描かれるけれど、それだけに引かれていく氷山は痛々しく思えて仕方ない。氷山を「でかい氷の塊」と見るのは、西洋的な価値観だ。でも、例えばJINの出自であるアイヌの人々や、親友になったジムの民族であるアボリジニは、自然に神が宿ると考える。その対比が、様々な角度から描かれるのだけれど、私はどこをどう押しても、後者の方が美しいと思う。自然に身体の中から湧きあがることは、頭で考えるよりも正しいことが多いように思うのだ。

「やっぱり、人が見るから美しいのかな。あっちにある美がこっちに来るんじゃなくて、こっちの脳の中で美が生まれるのかな」

これは文中のJINの言葉なのだけれど、私もよくこのことを考える。何故、花はこんなに美しく咲くんだろう。自然を美しく感じるように私たちがプログラムされているからなのかもしれないけれど、では、なぜ私たちはそう感じるように出来ているのだろう。誰かが美しいと想わなければ、この世に「美」という概念は存在もしないのに。ありのままで美しくないのは人間だけだけれど、何かを美しいと思うのも人間だけ・・・なのかな?本当は、すべてに美しくあろうという意志が働いてはいないか?などと、いつもとりとめがなくなっていく私の疑問に近い問いを、JINは追いかけていく。彼はアボリジニの星空を見て、たやすくそこを覚るけれども、頭の悪い私にはまだまだわからない。私は空や海を見て感動し、それを美しいと思うけれども、自分がそこに溶け込める存在だとはどうも思えない。そんなに美しい生き方はしていないよね、といつも思う。私も、浪費社会に生きている人間だから・・・。電気をいっぱい使ってるし。でも、謙虚に頭を垂れることは出来るように思う。この物語にも解答はない。これだけ分厚い本でも、テーマの複雑さを確認して終わってしまう。でも、私たち人間が、この地球の上で生きてきたこと、これから生きていくことのややこしさ、こんなにややこしくて複雑なんだよ・・ということを、蘊蓄の限りを尽くして描こうとした池澤さんの熱意を感じる本でした。蘊蓄・・やっぱり読書人には心ときめきますね(笑)

2012年3月刊行
文藝春秋

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