アル・カポネによろしく ジェニファ・チョールデンコウ こだまともこ 訳 あすなろ書房

画像アル・カポネ、なんて言っても、今の子どもたちにはピンとこないかも
しれない。アメリカ禁酒法時代の、マフィアの有名なボス。
この物語は、その時代、アルカトラズという一つの島が、まるまる刑務所で
ある島での家族の物語。島には、監獄で働く、看守や技師の家族が、一緒に
住んでいたらしい。それも知らなかったなあ・・・。
扉の惹句は、

カポネ洗濯サービス 一生に一度のチャンス!
アル・カポネやマシンガン・ケリーなど、名高き社会の敵にあなたの服を
洗濯したもらいましょう・・・中略・・・洗濯代は、たったの5セント!


という、コミカルな部分を強調してある。確かに文章はいい感じに軽いし
楽しい部分もたくさんあるのだが、私が惹かれたのは、この一家の、
心の問題だ。

この物語の主人公・ムースは、12歳。12歳で、背丈は181.5センチという
ちょっと育ちすぎの少年だ。野球が大好きで、元気者のムースは、両親と姉が
一人いる。彼の一家がこのアルカトラズに引っ越してきたのは、姉のナタリーに
大きな要因があったのだ。多分、ナタリーは自閉症なのだ。
なにしろ、1935年である。そういった心の方面の医療は、まだ確立されておらず
自閉症という言葉も、まだなかった時代だ。その言葉がないということは、この
タイプの人に対する理解など、多分ほとんど得られなかった時代だと思う。
その中で、常にナタリーのために心を砕いてきた両親が、数少ない期待をこめて
ナタリーを専門の学校にいれるために、ここに一家で引っ越してきた、という
わけである。母は、とにかくナタリーのことが気にかかって仕方がない。
彼女の願いは、ナタリーがとにかく、普通に(この言い方は好きではないが)
他の子と同じようになってくれること。母の心は、ほぼ100%それで占められていて
ムースの入る余地はない。ナタリーに比べて、ムースは何もかも持っているように
思えてしまうから。いいと聞いたことなら、何でもやってみる。おまじないのようなことから
新しい施設、新しい教育方法、とにかく全てをナタリーに注いでいる。
でも・・これって、ハンディキャップのいうものがあるとないとに関わらず、
こういう母の愛情というのは、空回りしてしまうのである。注げば注ぐほど、愛情は
肝心の子どもを通り過ぎてひずみ、なにかをゆがめてしまう・・。
ムースは、いつも心が痛んでいる。母の心にまったくいない自分に、悲しんでいる・・。
でも、これが母親なのである。私には、彼女の気持ちが痛いほどわかる。

彼女はいつも心が痛いのである。
それこそ、ムースを見ても、よその子を見ても、いつも彼女は傷ついていたのだろう。
「なぜ自分の娘だけ・・」という、自分の気持ちに。
誰のせいでもないから、自分を責めるしかない。だって、自分の生んだ子だもの・・。
そして、その気持ちがある限り、彼女は娘のことに奔走しながらも、ナタリーを
正面から受け止め、見つめることができない・・。
もう17歳のナタリーを、ずっと10歳だと偽ってきたように。
その子のありのままを見つめて、受け入れるところからでないと何も始まりは
しないのに。そして、その一番苦しいところを引き受けたのは、ムースだった。
いつもナタリーと共にいて、彼女の動かない表情の中にある気持ちや
喜びや悲しみを、誰よりも知っているムース。
そのムースが母に真実を告げる勇気を知って、妻の気持ちを知りすぎていたゆえに
何もいえなかった父親も、そこにたどりつく決心をする。

家族の誰もが、お互いを愛して気遣っているのに、心が食い違う。
そのすれ違いを、すったもんだしながら埋めていこうとする、努力と優しさ。
家族が家族であることは、いつもこうやって大変なのだ。
ムースの一家も、これで全てが解決したわけでもなく、やはり旅の途中なのだ。
その家族という同じ船に乗る同士が交わす微笑みの暖かさが、心に残る本だった。
著者のお姉さんは自閉症であったらしい。献辞も、「わたしの姉・ジーナ・ジョンソンと
彼女のことを愛していた、わたしたちみんなへ ―どんなに不完全な愛し方であっても」
とある。時代背景と、アルカトラズという監獄のことを頭にいれておかないとわかりにくい
という部分があるのは残念だけれども、いい作品だったな、と思う。


おいしい本箱 http://www.oishiihonbako.jp/index_f.php

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
かわいい

この記事へのコメント

ともお
2007年09月25日 18:05
ブログが、なんかおかしくて、まだ見れないかも知れません。この本、ノーマークだったのですが、見過ごしていたなあ、という感じです。パターンはパターンなんだけれど、ナイーブな少年モノということでは好みですね。「でも、これが母親なのである。」というERIさんの読みは圧巻です。自分のところで、チラリと書きましたが、同様のテーマが描かれるとき、母親のアクションというのが、非常に不安定な心細さにあふれている感じがあるんですね。物語的に父と子ならロマンに化けてしまいそうなところが、母と子はリアリティにひっぱっていく、そんな関係性があって、より文学的なものかも知れません。特にこの作品の「目をそらそうとする」感覚に、妙味はありましたね。キレイごとを言えない状態に、追い込まれたとき、自分の本音の本音を見つめなくてはならないとき。なかなか理想的な態度はとりがたいものがあるような気はします。結局、この物語も、最後はロマンになってしまうんだけれど、まあ、最後の一行は良かったですね(笑)、実に。
ERI
2007年09月26日 02:58
>ともおさん
そうなんです、先日から、ともおさんのブログにアクセスできなくて・・。ちょっと凹んでました(笑)
コメント嬉しいですよ♪

自分も母親だけに、この物語のお母さんの辛さと苦しみが、手に取るようにわかってしまって、そちらに感情移入してしまいました・・。母というのは、子ども可愛さのあまり、現実を見失ってしまうことがありますね。その痛みが周りにも伝わるゆえに、またそこから新しい悲しみが生まれてしまったり。ある程度お互い目をそらしていないと、家族というのはまた成立しないもんですが、何かしら問題を抱えたときに、まっすぐ見つめあえる目を持つことができるのかどうか。
その課題を面白いシチュエーションで書いた物語だと思います。・・・早くともおさんのレビューが読みたいですよ。早くシステムがなおりますように。