小説のように アリス・マンロー 小竹由美子訳 新潮クレストブックス

画像年末からちびちびと読んでいて、やっと読了。
上手いなあ・・としみじみ思う。小道具の使い方、
小説の中での時間の扱い方、目線の配り方。
緻密な文章。うーん。お見事。なんですが、どうも私はこの人が苦手。
何で苦手なのか、読みながらずっと考えていました。

マンローは、ほっといてくれへんのですよね。
何をほっといてくれへんかというと、人が忘れたい事を、です。
例えば、表題の「小説のように」。
青春を共に過ごし、世界中を一緒に放浪し、自分の分身とも思っていた夫を、
住みこみで雇った無学な、自分よりはるかに劣る、と想うイレズミをした女に取られてしまう。
それまでの自分のプライドをめちゃくちゃにされ、どん底まで落ちた女が、長い時間を経て、
今は別の夫と幸せに暮らしている。しかし、彼女の前に、夫を奪った女の娘が現れる。
小説家になっているその娘は、あの頃の自分の姿を、小説に描いているのだ。
とっくの昔に葬ったと想う過去が、別の光に照らされて、再び眼の前に現れる。
その不気味さと、戸惑い。鈍痛のような過去の傷が、みじめだった自分が蘇る。
または、「子供の遊び」。生理的に、どうしても嫌いだった近所の子。
母が「可哀そうな子」と言えば言うほど、その子に対する嫌悪は募る。
その結果、起こしてしまった無意識とも言える、幼い頃の殺人の記憶が、
旧友に会うことで蘇る。
マンローの筆は容赦がなく、淡々と人間の人生に転がっている闇を見せつける。
それは、悪意でないんです。悪意なら、まだいい。マンローの描き出すのは、
人が心の中に持っている、無意識の中に潜り込もうとする怪物のようなもの。
それを、「ほら」と、にこにこ見せられる。そんな気がするんですよねえ・・。
化け物が出てくる、出てくる、と想ってドキドキしてたら、実は自分が化け物やった。
それって、一番応えますわ。その、肝に応える感じが、ありますね。
彼女の描くのは、どこにでもいる、ごくありふれた人たちの、ありふれた人生。
誰しも、自分の人生のどこかに、思い当たるところがある。そんな人たちです。
だからこそ、怖い。

でも、そういう人間存在のどうしようもなさ、人の心の奥に潜むものを
描くのは、小説の在るべき姿でしょう、と言われればその通り。
それは、私もそう思います。私も、そういう小説をたくさん読んできましたし。
そやから、文句つけようがありません。
でも、何でや知らん、マンローの小説は私の心を萎えさせる。
それは、私がマンローの描くような深い穴を、ぎょうさん抱えてるからかもしれません。
馴染み深すぎて、今さら、もうええわ、と想ったりしてるんかもしれん。
つまり、自分の問題なんか・・とも思うんですが。
マンローの、人間に対する光の当て方が、どうも苦手なんかも。
人生が嫌になってくる。くしゅん、となってしまうんですよねえ。
私は非常に俗な、穴ぼこだらけの人間なので。
きっと、物語に光を見出したいのかもしれません。
この小説の中には、私の見出したい光がない。そこなんかな。
うーん。何でか知るために、彼女の小説をまた読んでみようと思います。(読むんかい!)
あれ?おかしいな。苦手やのに、褒めてるような感じになってるやん(笑)

2010年11月刊行
新潮社

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