雑文集 村上春樹 新潮社

画像仕事に行く他は、ずっと家にいて本を読んでいる。ここ関西でも買占めをする人が出ていたりして、買いものに行ったりするだけで、結構疲れるものがある。こういう時は、日ごろ隠れている人の様々な衝動や不安が増幅される。そして、それに振り回されてしまうだけで、心にも身体にも疲れが溜まっていくように思う。しかも、昨日から寒い。寒さが、また皆の不安スイッチを入れてしまうのかもしれない。

こんな時は、慣れ親しんだ人の文章を読みたくなる。友達の声を聴きたくなるのと同じ心理かもしれない。春樹氏の文章は、本人も意識しておられるように、とても音楽的で心地よいので、こういう全てが混沌としている時にも頭にすっと入ってくる。彼の書くエッセイや評論は非常に明晰でわかりやすい。主張していることが明快だ、というのではない。彼の書こうとしていることの大概は、結論が出しにくい、あるいは出せない問題について、つまり人間存在そのものに対する考察が多い。論理の道筋が明快で、読む側に、自分の主張を一切押し付けない見事な距離感を保っているので、私たちは彼の文章を読みながら、常に自分の内部にその言葉をぐるっと巡らせて「考える」という作業が落ち着いてできる。しかも、どこかこちらの話も聴いてくれそうなオープンさもあるという(笑)この絶妙な距離の取り方はどこから来るんだろうと考えるのだけれども、彼が若い頃、ジャズバーのマスターであったことも関係してるのかも。この本の「ビリー・ホリディの話」に書かれているその頃のエピソードを読むと、ちょっと彼の店に行ってみたくなりますね。

この本には、デビュー間も無い頃から、現在までのエッセイや音楽評論、その他もろもろがテーマごとに収められている。この、テーマごと、というのが面白い。何故かと言うと、デビューしてから現在に至るまで、彼が非常に長いスパンで物事を考え、物語を描き続けていることがわかるからなんである。春樹氏はずっとブレない。まさに、長距離ランナーの心性で、コツコツと、ひたすらコツコツと同じことを考え、積み上げ、その同じことを様々な「物語」という仮説で提示し続けることに全てを費やしているんだと改めて思う。何度も言うけれど、私はハルキストでもなく、全ての著作は読んでいるけれども、特に思い入れのある作家さんというわけでもない。しかし、彼の作品や評論は、私の中で一つの羅針盤であり続けている、とこの本を読んで改めて認識した。その羅針盤は、やはり「信頼」だ。春樹氏の中にあるずっと燃え続けている情熱、物語というもので人の真実を照らしだそうとする営みを、私は尊敬している。

「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」
「壁と卵」―エルサレム賞・受賞のあいさつ
「物語の善きサイクル」

これらの、自己と物語をめぐる考察は、文学というものの本質と役割についての名文だと想う。特に「壁と卵」はいい。エルサレムでこの文章を読むのに、何度も「真昼の決闘」を見てから行った、という事だが、どこにいても、自分を絶対曲げない小説家の真心に胸打たれる文章だ。
あと、この状況下で読む「東京の地下のブラック・マジック」にも心打たれた。阪神大震災から、サリン事件へと至ったあの頃のスパイラルを、私たちは繰り返してはならない。強く、強くそう想う。

春樹氏の言うように、文学はあまり世間の役には立たない。こういう災害の時に、まず運ばれるたぐいのものでは決してない。でも、この苦しみから人が立ちあがろうとする時、その心に寄り添うのは、体温の詰まった物語だと私は思う。まず、この本は、無神経な震災報道にイライラしていた私の神経を鎮め、平静に戻してくれた。本を読むのは、やはり私の基本だと思いださせてくれた。ありがとさんです、村上さん。(友達かっ!)人と同じことをしたくない、反対されると余計にやりたくなる、というへそ曲がりの心性が、同じですわ。世間が買占めしてると、余計に今あるものでどこまで行けるか試してみたくなる(笑)おかげで、毎日「あるもん」でご飯たべさせられてる家族はいい迷惑かも・・・。明日はちょっとマシなもん作ろうかな。

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