野良猫ケンさん 村松友視 河出書房新社

猫もの第3弾・・って、猫ブログじゃ画像ありませんからっ!(笑)
村松さんとこの猫さんと言えば、有名すぎるほど有名なアブサン。彼は、21歳で大往生を遂げた。ほんとに大事にされてたんですよねえ・・・21歳って、ほんとに長生きですもん。彼の大往生には泣きました。あれから、猫が飼えない村松さんと奥さんの気持ち、わかるなあ・・。
でも、ここに綴られているのは、いわゆる外猫として村松さんのところにやってくる猫たちの話。自分の飼い猫ではないから、付き合い方の距離感というか、間合いが大切になる。関わりすぎず、干渉しすぎず・・しかし、長年庭にやってくる猫とは、自ずと付き合いも生まれ、絆も生まれ、人間と猫、そして猫同士の人間猫模様が生まれる。居職である村松さんにとって、その猫たちとの付き合いはもしかして人間より深いものかもしれない。猫と人間は、同じ地面の上に暮らしていても、全く違う理(ことわり)で生きている。だから、人が彼らを見つめ、考えることは、全くのサル知恵ならぬ、人間の浅知恵だったりすることも多いのだけれど、それでも一旦彼らに気持ちを映してしまうと、他人ではなくなってしまうのが、また人間だ。

「名前をつけるとは不思議なもので、直次郎とつけたとたん、彼は私にとって直次郎となり、単なる猫ではなくなってしまうのである」

そう。名前をつける、というのは人間の認識では関係が出来る、繋がりが出来る、ということなんですよね。この本に出てくる、たくさんの猫さんたちも、村松さんに名前をつけられて、それぞれが心に足跡を残していく。タイトルになっているケンさんは、立派な男前のボス猫、ゴルゴ31ばりのいい男。外猫というのは、ふらっと顔を見せるものだから、彼らが普段どんな顔をして暮らしているのかはわからない。だから、こっちはいろんな想像をする。ケンさんは、一匹オオカミのかっこいい侠客として、16年以上にわたって村松夫婦に物語を与えてきた。その彼の人生ならぬ猫生に、村松さんはなみなみならぬ敬意を払っている。ああ・・こういう接し方は男だなあ、と思う。女は、猫も子どもになってしまう。そのあたりの感覚の違いは、うちでも夫と私の間に厳としてあって、ケンカの種なんですがね。
外猫との関係は、一期一会。わずかばかりの触れ合いから感じるのは、生きていくということの残酷さであることが多いけれども、それも人としての尺度にすぎない。同じ地平に暮らしていても、人が触れてはいけない野生を、猫はちゃんと持っている。そこが猫の魅力であり・・また、関わる人に様々なことを感じさせることになるんだと、このエッセイを読んで、ため息をついた。なぜため息かというと、うちの外猫のタビーさんが、もう半月ほども姿を見せないからだ。大分痩せて、歩き方もひょろひょろになっていたタビー。捕まえて、医者に連れていこうとしたこともあったけれど、やはりパニックを起こして、どうにもならなかった。一度家に入ってきたときに、夫がそっと戸を閉めたら、大暴れしてやはり出ていってしまったらしい。彼は、最後まで野良さんだった。彼はうち以外にも餌をくれる家を持っている子だから・・と思ったりしながら、もしかして、という心配を捨て切れずにいる。どこかで、美味しいご飯を食べていてくれたらいいのだけれどなあ。ため息・・・。

2011年6月刊行
河出書房新社

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