スカーレット わるいのはいつもわたし? キャシー・キャシディー もりうちすみこ訳 偕成社

画像『音楽と人』という雑誌を時々購入します。まあ、剛さんが載ってる時、なんですが(笑)今月もライブレポが載ってるので早速買ってしみじみと読んでいたのですが・・8月号の巻頭に載っているアーティストの写真を見ると、これがもう、凄い背中一面のタトゥ(入れ墨)なんですよ。始めは撮影のためのフェイクかと思いきや、本文を読むとなんと、これが全部本物らしいということに、びっくりしました。そう想って見ると、彼の顔にもピアスの痕らしきものもあり。私は彼のことを何も知らないのですが、この雑誌のテキストを読ませて貰う限り、これはある意味、自傷行為に近いものなんではないかと思ったんですよね。もちろん、身体一面に入れ墨を入れることは、彼の表現行為の一環なのだと思いますが、それでも私はその入れ墨に自己破壊の衝動を感じてしまう。そして、この作品の主人公、スカーレットが、自分を痛めつけるために、自分の舌にまでピアスを入れることと、繋がるものであるような気がしたんです。

この物語の主人公のスカーレットは、いわゆる困った子。髪をケチャップ色に染め、8cmの高さのヒールサンダルを履き、もめ事を引き起こします。二年間で5つの学校を渡り歩き、今通っているところも、とうとう放り出されてしまう。激怒したキャリアウーマンの母は、すっかり切れてしまい、スカーレットを離婚した元夫のところに送り出すことに決めてしまう。スカーレットはかっての幸せだった家庭を壊し、自分と母を捨てて出ていった父親のことを許せないでいる。それなのに、ママはパパと暮らせというの?スカーレットは激怒するけれど、結局送りだされてしまう。

離婚というのは、大人にとっては、もうそうでしか解決を図れない、抜き差しならない選択なのだけれど、子どもにとっては、人生で出会う、最初の理不尽かもしれません。スカーレットにとってもまさにそうで、それまでの自分の生活や楽しみが、両親の離婚によってことごとく打ち砕かれてしまった、ということにいつまでも馴れることが出来ない。優秀なキャリアウーマンである母は、そんな彼女を受け止めかね、ますます仕事にまい進し、問題を起こすたびに、祖母や叔父のところに彼女を送っては、見事に彼女の気持ちを逆なでしてしまう。「父親に捨てられた」と思っているスカーレットが、どこかにやられる度に「捨てられた」という気持ちを強めてしまうことに気がつかない。余計に反抗的になるスカーレット、うんざりする母親・・というループの中で、スカーレットは舌にピアスをする。

このスカーレットという少女は、けっこう正義感が強くて、感受性の強い子なんです。おかしいと思うことはとことんおかしい、と思うし、納得できないことには従えない。それだけに、まわりと衝突することが多くて、誤解も生まれやすい。自分の感受性と感情を、傷ついた彼女はうまくコントロールできないから、余計に事態は悪い方へ、悪い方へと転がってしまう。そのあたりの、ピュアさとブレーキのきかなさを、作者はうまく書きあげています。ピアスだって、ほんとのところは、心の底からカッコイイと思っているわけではなくて、冒頭に書いたように、それは一種の自傷行為。いわゆる、リストカットのようなもの。それは、自分を傷つけることで、その痛みを誰かにわかって欲しい、という叫びでもあり、自分に降りかかった理不尽に対する復讐でもあり、傷ついた獣の威嚇の道具でもあります。金属の味のする、苦い復讐は、いつも彼女の口の中にあって、スカーレットを傷つけます。

そんな彼女が、田舎の父親にところにやってきて、再婚相手のクレアと、その連れ子の年下の女の子・ホリーと暮らし始めます。そこで出会ったのは、ミッドナイトという美しい馬に乗った、キーアンという少年。この出会いのシーンは、とても美しく印象的です。初めて出会った時から、二人はお互いを分かりあい、安らぎの空気が流れます。どこからやってくるのかわからない、神秘的な空気をまとった少年にクレアは惹かれ、二人は誰にも内緒で、二人だけの時間を過ごします。この二人の時間の優しくてピュアなこと。スカーレットという少女の、誰にも見せない心の奥底が覗きます。スカーレットは、そこで一番素直な自分になれた。それが彼女を変えていきます。

そして、絶対に許せないと思ったクレアは、初めて他に人がしなかったこと―スカーレットの気持ちを理解しようとします。これはねえ・・親子の間で、家族の間で、案外一番難しいことかもしれないですね。母親、父親、という立場が子どもの気持ちを見えなくしてしまうことは多々あります。私も、そうだったかもしれない。子どもが何か問題行動を起こす。すると、親というのは、「問題行動」で頭がいっぱいになってしまい、うろたえてその裏にある、子どもの気持ちを考えるところまで想いが至らなかったりする。その点、クレアは母親ではないので、冷静な視線でスカーレットを見ることが出来る。田舎の自然、キーアンとの時間、そして落ち着いた家族の中での暮らしは、少しずつスカーレットを落ち着かせていく。もちろん、いろんなことに引っ掛かり、ぶつかり、うろたえたり、ケンカしたりしながら・・本当は静かにものを考えたり、絵を書いたりするのが好きな自分をスカーレットがみつけていく、その過程が、色彩豊かに丁寧に描かれていて、読んでいてとても胸に沁みました。そして、棘だらけのハリネズミが、ぶるっと身体をふるって美しい山猫に変身するように、スカーレットが古い皮を脱ぎ棄てる日がきます。それは、高いところから落ちて産気づいてしまったクレアを助け、その出産に立ち会った日。必死で生まれ出ようとする命に立ち会って、スカーレットは荒れ狂う子どもから、考え深い目をした少女に変わっていくのです。子どもを成長させるのは、理屈や、お説教ではなくて、目に見えない不思議なもの、美しいものに出会うということなんですよね。キーアンという少年と奇跡のように出会い、心を繋いだという魔法。そして、新しい命が生まれるという、決して人の手の届かない神秘を感じさせる魔法。その二つの魔法に出会う少女の夏の時間が美しい物語でした。

子どもが、夏のひととき、魔法の国に行って、帰ってくる。これは、YAの、児童文学の王道でもあります。スカーレットは、夏を過ごしてまた自分の現実に帰っていった。帰っていく力を得た。現実はね、こんなに上手くいきません。でも、だからこそ物語はあるんです。時計坂の家で不思議な空間に迷い込んだり、黒髪の素敵な男の子に、美しい森で出会ったり。心の中で新しい世界に出会うことが、この現実を生きていく力になることがある。この本に出会うことで、また現実に帰る力を得る子どもたちがいるといいなと、夏休み前にしみじみ思う。そんな本でした。

2011年6月刊行
偕成社

この記事へのコメント

沙良
2017年09月02日 22:58
私も、読んでみようと思いました