ゴランノスポン 町田康 新潮社

画像今夜はこれを読んで、町田さんに、ズバっと斬られてしまったのである。ほんとに気持ちよく、心の底から斬られてしまった。読み始めは、何やら可笑しいのである。あらあら。やあねえ、そんな事まで書いちゃって、ねえ・・と想っているうちに、それぞれの短編から、蓬髪の町田侍が駈け出してきて、この時代と自分がいろんな顔して纏ってる嘘や、ええかっこしいなとこや、見て見ぬふりをしてるところや、ぬるく淀んでいるところに、ビシバシと斬りつけてくるのである。やだー、もうやだー、と想いつつ、何だかもう、やたらにピンポイントに恥ずかしいところを突いてくるんで抵抗も出来ず、ただ斬られているばかりなのである。うう・・痛い。苦しい。胃が重い。でも、読んで良かったと瀕死の苦しい息の下から想う。町田侍に斬られたところで、この恥ずかしさが消えるわけでもないんですが。恥ずかしい、ということを忘れずにいることは出来そうです。

町田さんの作品の、大きなキモは、この「恥ずかしさ」という感覚ですよね。日頃、ぼんやりと感じている恥ずかしさを、これでもか、と突きつけられて悶え死にしそうになる。

例えば、「一般の魔力」。駐車場で気の弱い車を追い込んだり、レジの列に割り込んだり。こんな、イヤなオヤジ、いるよなあ~、と想いながら読んでいるうちに、自分も含めて、こういう自分にだけ都合のいい無関心が、あちこちに増殖しているのを感じてぞわりと恐くなる。このくらい、誰でもやってるやん、上手いことやらな、馬鹿みるねん。他人が馬鹿みるのはええけど、自分が馬鹿みるのはアホらしいやん。そのために、誰かがイヤな想いしたとこで、それはそっちがトロいからやし。ねえ・・と囁く、実に度量のちっさい小市民の勝ち負けで喜ぶいやらしさ。えっ、そんなとこで勝ち組になろうとしてるん?とびっくりしてしまうようなところで、勝利感に酔いしれてる。それを見たり、感じたりする恥ずかしさといったら・・。そのちっぽけさに切腹したくなる。「二倍」という短編も、恐い。この主人公が就職する演技会社という、実態が何も見えない空っぽの会社。こんなの無い、無い・・と言えないよなあと想う。俗にいうIT産業と言われる企業が、どんなことをしてお金をもうけているのか、私にはからきしわからないから。わからないことを、そのまま見過ごして、わかったような顔をしてる。恥ずかしい・・。そして、最大に恥ずかしいのが「尻の泉」という短編。清らかな泉が尻から湧く男がたどる、恥ずかしい恥ずかしい道筋は、何ともいえない青臭さを漂わせて、デジャブというか・・既視感がある。お尻から水は出たことがないけれど、肥大した自意識というもののに振り回される感覚は胸を突かれるように生々しいんですよ。「選ばれた存在」から「ありふれた自分」にたどりつくまでのドタバタがねえ・・。恥ずかしいんだけど、他人事じゃないところにね、胸を突かれます。そう。全て他人事じゃない。町田侍の刀は、いろんな嘘を斬りつけて、同時に自分も切り結んでいる。斬られても斬られても、へらへらと逃げていこうとするものに肉薄する筆の凄みは一級品です。

町田さんのこういう作品たちに斬られていると、町田さんがお猫さまを尊敬して、愛する気持ちがわかるなあと想うんですよ。猫さんたちは、こういう恥ずかしさとは無縁の存在。ご飯を食べて、遊んで、寝て、全てを受け入れて生きて、さらっと死んでいく。でも、私たち人間は、こういう恥ずかしさとがっぷり生きていくしかないんですよねえ。人と人の間で生きているかぎり、こういう部分からは逃れられないから。「含羞」という言葉を、最近あまり聞かなくなっていますが、この「恥」という感覚は、けっこう大切なもんなんじゃないか。「含羞」「矜持」という言葉を聞かなくなると共に、そういう感覚も無くなってしまうのかもしれない。自分のちっささへの自戒も込めて、町田さんに斬られて悶々とする感覚、キツいけど、失くしたくないな、と思います。

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