小公女 フランシス・ホジソン・バーネット 高楼方子訳 福音館書店

画像金曜に、猫を拾ってしまいました(汗)夕方の駅前のロータリーという、人も車も自転車も激しく行き来する場所で、激しく鳴くちっさい猫を発見。道行く人に、にゃんにゃんとむしゃぶりついては鳴いているんです。友人と思わず近寄ってしまったのが運のつき(笑)首輪をしているので飼い猫かもしれないと思い、とりあえずキャリーを家から持ってきて保護し、あちこち聴いてみたのですが、空振りでした。結局、獣医さんに寄って検査してもらって、家に連れて帰ってきてしまいました。キジ模様の、ちっさい、1歳になるかならないかの女の子ちゃんです。警察にも保健所にも届けたし、飼い主さんが探していたらどこかで網にかかるように手を打ってみましたが、全く音沙汰なし。しばらく放浪していたようで、飢餓状態でした。うちのぴっちゃんが三日間帰ってこなかった時よりも、もっと酷い感じ。お医者さんで出して貰ったご飯をがつがつと飛びかかるように食べ・・今、うちでたらふく食べているはずなのに、ご飯の時間には血相が変わります。すらっとした綺麗な子で、基本いつも御機嫌さんの愛想良しなお嬢さんなのに、ご飯食べる時だけハイエナに変身してしまう残念な感じ(笑)来た時は背骨がひとつひとつ触れるくらいにガリガリでした。よっぽどお腹が空いた時間が辛かったんでしょうねえ。元々人に飼われていただけに、自分でご飯を調達することも出来なかったでしょう。成長期にひもじい思いをする辛さ・・・そこまでお腹が空くという経験がない私は想像するだけですが。最近折に触れて読んでいる「小公女」のセーラの辛さを、セーラに失礼ながら、思ってしまった私です。

なぜか、幼い頃からこの「小公女」という物語が大好きでした。私が持っていたのは、抄訳のもので挿絵もあまり良くなかったにも関わらず、何度読んだかわからないほど読み返したものでした。だから、この高楼方子さんの完訳が出ると知って、大興奮のうちにすぐに購入して・・・届いて、この表紙を見た途端、打ち抜かれた気がしました。このセーラは、私がずっと心に抱いていたセーラなんですよ。さっきも書いたように私の持っていた本は挿絵がお粗末で、妙ちきりんな西洋人形のようなセーラだったんです。アニメにもなりましたけど、あのセーラも、私の想う彼女とは全くの別人。これは違う、とずっと思っていた。この表紙のセーラの眼差しの強さ、組んだ手から感じる思索的な内面。黒い服でみすぼらしいベッドに腰掛けている彼女は、誇り高い魂そのもののそうな風情です。ああ・・私が会いたかったのは、この少女だと直感しました。その直感は大当たりで、この本を手にしてから、一体何度読み返したことか。私の中では、セーラは悲劇の主人公でもいじめに健気に耐える女の子でもないんです。気位の高い、深い精神性を持つ凛としたセーラ。周りの人に理解されなくても、強く自分を貫く彼女に、私はずっと憧れていたんだということを、改めて感じさせて貰いました。高楼方子さんが、このエセル・フランクリン・ベッツの挿絵を表紙に、と熱望されたとあとがきで読みました。私が長年会いたいと思っていた少女に引き合わせてくださった高楼さんに感謝です。もちろん訳も素晴らしい。この「小公女」は、私の宝物になりそうです。

・・・猫の話を長々書いたので、今日はここで時間切れ。また日を改めて、この「小公女」について書きたいと思います。

2011年9月刊行
福音館書店

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この記事へのコメント

ときわ
2012年01月24日 16:50
こんにちは。感想を読んでからこの本のことが気になってました。
表紙の絵は今まで見たことがないセーラの姿でしたから。
今読む気はなかったのですが、とても気になったので図書館で他の本と一部分読み比べてみました。
西村書店「リトル・プリンセス 小公女セアラ」秋川久美子訳です。これも完訳版らしかったので。
こんなに違うの?というくらい違いました。
以前ローラ・インガルスの大草原シリーズを少し読み比べて違いに驚いたことがありましたが、それ以来の驚きです。翻訳ってそれぞれ違いますね。

福音館版の方が自然でとても読みやすいと感じました。
ERI
2012年01月24日 23:48
>ときわさん
コメントありがとうございます♪
このセーラの姿、とても印象的ですよね。私も一目見て思わずアマゾンですぐにポチしてしまったんです。「これは、私のセーラだ!」と思って。
長年かけて私の中にあったセーラという少女の幻が、きゅっと形になって現れたような気がしたんです。それは、高楼さんの訳にも言えることで、この完訳で、私はいろんなことがまさに「腑に落ちる」気がしたんですよ。この物語は、いろんな「お話」の面白さやお約束がたくさん散りばめられていて、そこにも惹きつけられるのですが、私はこのセーラの核にある激しい気性や想像力の豊かさ、感性が好きなのだということを、改めて感じたんです。高楼さんの訳の主眼もそこにあるんじゃないかと思っています。セーラの緑の瞳にじっと見つめられているような、心の会話をする楽しみが深くなったと思います。

読み比べをなさってみたんですね!私も、今度ぜひやってみます。新しい視点を教えてくださって、ありがとうございました。