ソラガアオイ 朽木祥 飛ぶ教室 2012春号

仕事から帰ってきたら、アマゾンから「飛ぶ教室」が届いていた。夕飯を作らなくては、と思いつつ、お目当ての朽木さんの『ソラガアオイ』の頁をめくって飛び込んできた一行目が衝撃的で、思わず「あとで落ち着いてから」と呼吸を整えた。そして、一日の仕事を終え、頁をめくり・・結局他の部分を読みつくしてから最後に心を決めて開き、案の定号泣しながら一回目。その日はそのまま寝入ってしまい、起きてから、また何度も何度も読んだ。読めば読むほど、最後に「僕」が見上げた空の青が眩しかった。とても心に沁み込む青だった。

「僕」の目の前からお兄ちゃんは去ってしまった。クマオに「ステイ」という言葉を残したままで。どれだけ閉じ込められても、大好きなお兄ちゃんと別れた場所に帰っていく犬のクマオは、愛しい人と会いたいと願う切ない想いの化身のようだ。大好きな人と、別れなければいけないことがある。理不尽にもぎ取られるように別れはやってくる。その瞬間から、残されたものの時間は止まってしまう。そこに心が釘づけになってしまったまま・・。あの日から、僕とお母さんとお父さんの心は、クマオと一緒に「ステイ」したままなのだ。犬は、人のように、他人の目や思惑を気にしたりしない。だから、逢いたい気持ちそのままに、喪失の場所のただなかに走っていく。でも、そこまで人は強くない。私なら、その場所が恐くて近づくことも出来ないかもしれない。だから、そのクマオの心に、寄り添おうとした「僕」の勇気と優しさに、心震えてしまった。子どもは、そして物いわぬ動物は、いろんなものに縛られている大人よりも、まっすぐ「想い」の本質に向かうように想う。痛いよ、と素直に口に出すことさえ、大人は難しかったりするのだから・・。

「僕」は、何度も何度もクマオと歩きながら、お兄ちゃんがそこにいるかのように語りかける。「僕」は、取り戻したかったんだろう。お兄ちゃんがいた頃の家族を・・・クマオと皆の笑顔を。お父さんとお母さんの笑顔も取り戻したかった。そして、誰よりお兄ちゃんを取り戻したかった。だから、こんなに頑張ったんだ。でも、失われた人は帰ってこない。そのことを思い知らされる「僕」の中で、痛みがうねり狂っていく様が、朽木さんらしい見事さで描かれる。何故だろう。私は、ここにとても共感してしまったのだ。

必死で優しくなろうとしても、その想いがうまく通じないがある。そして、助けて、という声が届かないことがある。家族って、ほんとはそんな闘いのくり返しなんだと思う。そして、その努力が苦しければ苦しいほど、通じなかった想いは痛みに変わる。ほんとは誰も悪くないのに、愛情さえもお互いを切る刃になることだってある。子どもを失ったお父さんとお母さんの放心ぶりは、同じ親として痛いほどわかる。だからこそ、この「僕」の痛みは、切ない。私も、こうしてとりこぼしてしまった子どもの想いがたくさんあるのだろうと、振り返って想うから。凝り固まろうとする痛みに、朽木さんはここで魔法をかける。「僕」の痛みが切ないほど伝わるからこそ、この魔法は心に沁みる。朽木さんは、「僕」に、読む私たちに、この上無く美しい青空をプレゼントしてくれるのだ。痛みも悲しみも、ありのままに、美しいと思える・・・ただ心に沁み込んで広がっていく、そんな特別なアオゾラ。

そのプレゼントの内容は、ここでは書かない。ぜひ、ご自分で読んでもらいたいと思うからだ。失ってしまった大切なものが、形をかえてアオゾラになって「僕」の心に戻ってくる、そのかけがえのない瞬間に、私は手放しで泣いてしまった。朽木さんの物語は、いつも悲しみや苦しみに寄り添おうとする。そして、なぜだか、朽木さんの物語は、その時々に私がかかえている弱さや痛みの真ん中に届く。今回も、またそうだった。不思議だと想うけれど、そうなんだよね、と納得する気持ちもある・・・それが、物語のもつ普遍性というものかもしれないとも思う。
読めてよかったなあと、しみじみ思う。

朽木さんの新刊が、また6月に刊行されるそうなので、それも楽しみでしかたない。待ってます・・・。

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この記事へのコメント

ぱせり
2012年05月01日 09:34
ERIさんのレビューを、ここのところ毎日、首を長くして待っていました。
やっと読めて嬉しいです。
改めて物語を味わい直している気持ちになりました。

>痛みも悲しみも、ありのままに、美しいと思える・・・ただ心に沁み込んで広がっていく、そんな特別なアオゾラ。
そうなんですよね。
すごくすごくしんどいことが起こると、癒し、とか、再生、という言葉が安易に浮かんでしまって。他に言葉を知らないからついそういう言葉を使ってしまっていましたが、どこか違うような、ずれているような・・・
だから、ここで、こういうアオゾラに出会って、ああ、これだったんだ、と思ったんです。
というか、こういう気持ちになれることがなんだか奇跡みたいでした。

>朽木さんの物語は、その時々に私がかかえている弱さや痛みの真ん中に届く。
これも一緒です。
まるでわたしのための物語ではないか、と思ってしまう(笑) 
きっとそいう私みたいな方がたーくさんいらっしゃるにちがいないですね(笑)
ほんとうにこれはプレゼント、という言葉が相応しいですね。心から感謝です。

6月の新しい本、わたしも楽しみです^^
ERI
2012年05月02日 00:28
>ぱせりさん
お待たせしてしまいました(汗)最近、どうもうまく言葉が出てこなくて、レビューを書くのも右往左往しています。

>「癒し、とか、再生、という言葉が安易に浮かんでしまって。」
そうなんですよ。そういう、手垢のついた言葉がいらない青空なんですよね。言葉にならないものを、言葉にするのが文学だと思います。それを、読むものの年齢を問わない文章で、こんなに鮮やかに優しく描き出されたことに感動しました。そう、ほんとに奇跡みたいです。

>「まるでわたしのための物語ではないか、と思ってしまう(笑) 」
ぱせりさんも、そうですか?私も、朽木さんの物語を読むと、いつもそう思うんです。どうしておわかりになるんだろう、って思うんですよ。誰にも見せたことのないはずなのに、って。そういう物語にリアルタイムで出逢えること、これもまた奇跡なのかもしれません。6月って、来月だ!と、今気がつきました。楽しみですよね!!