サラスの旅 シヴォーン・ダウド 尾高薫訳 ゴブリン書房

画像この物語の主人公のホリーは、本当に可愛げのない女の子です。口からは悪態やしらけた言葉しかでてこない。「つまりあたしは実のないヒイラギ、あるのは棘だけだ」この言葉の通りに、とげとげのハリネズミです。体中に溜めこんでいる怒りのオーラがふつふつとこちらに伝わってくるんです。でも、読んでいるうちに、あてどない旅の中で、段々彼女の繊細さや悲しみが見えてくる。アンテナがぴりぴり震えるようなホリーの心と旅しながら、この子のたどりつく先は、どこなんだろうと、頁をめくるのを最後までやめられませんでした。

ホリーは、養護施設で育った少女。施設での無味乾燥な日々の中で支えだった職員のマイコが転職することになり、ホリーは彼が勧めてくれた里親のところに行くことになる。でも、ホリーは里親にも学校にもなじめない。ある日、里親・フィオーナが使っていた金髪のウイッグを発見したホリーは、それをかぶると自分が大人っぽい女の子に変身することを知る。ホリーは、ウイッグをかぶり、ゴージャスな女の子・サラスとなって家出し、ヒッチハイクで母親のいるアイルランドを目指す。

ホリーの旅は、実は終着点のない旅なのです。ホリーの思い描くアイルランドにいる母は、まるで安っぽいおとぎ話の女王さまのようにおぼろげで、薄っぺらい。ホリーは、自分と母は福祉事務所の大人たちに引き裂かれたと思っているのだけれど、実際はそうではないことは、なぜ母から全く音信がないのかを考えてみたら、本当はすぐにわかるはずなんですよね。だって、ホリーはもう14歳なのだから。でも、ホリーはそこに気づかない。いや、気づかないふりをしているのです。真実は、ホリーにとって耐えがたい、直視したら自分が壊れてしまうかもしれない残酷なものだから。美しかった母の切れ切れの記憶を繋ぎ合わせて、いいところを反芻するだけ。そんな母のところにたどりつけるはずがないのです。でも、ホリーはいてもたってもいられない。それは、彼女にはどこにも心の居場所がないからなのです。

人生を旅とするならば、たいていの人は必ず出発点を持っています。しかし、虐待によってその出発点に封印をしてしまったホリーは、どこに行くことも、どこに留まることも出来なくなってしまう。しかも封印してしまった心の傷は癒えるはずもない。いつも消えない炎のように体中をあぶる・・・そのホリーのよるべなさと怒りが、種明かしされるまでに、読み手に伝わってくるところが、さすがの文章力だと思います。ペラペラの金髪のウイッグをかぶり、万引きをした露出度の高いワンピースを着て、慣れないヒールの靴に足を引きずりながらヒッチハイクをする。途中でお金もなくなっていき、見知らぬ人の車に乗るホリー、いや、サラスに、どうしても私ははらはらしてしまい、「あかん、あかん」と何度も彼女を引き戻したいと思ってしまった。でも、精一杯の旅の中で、ホリーは始めて、彼女が養護施設で育ったということを知らない人たちと話すことが出来たのです。行きずりの、もう二度と会わない人たち。彼らは、見知らぬサラスという女の子に、ほんの少しだけれど思いやりをくれた。ホリーの嘘を信じ、もしくは信じたふりをする優しさがあった。いつものトゲトゲの衣を脱いで、サラスとして旅をしたホリーが、いつもと違う風景の中で、いろんな人に出逢いながら少しずつ封印していた自分に近づいていく。そして、やっと忘れていた記憶を、自分自身を取り戻したホリーは、里親のところに帰り、母を失って以来はじめて、自分の人生を始める出発点に立ちます。

これほど、傷ついた心や、辛い記憶を直視することは大変なことなのです。長い長い時間をかけて、それでも埋まらない闇もあるんだと、ホリーの旅を読みながらしみじみ思ったことでした。そして、ホリーのように傷ついた心と向き合うのは、周りの大人たちにとっても大変なことなんですよね。はたして自分にそんなことが出来るのかどうかと、この物語を読みながらしみじみと考えてしまいました。でも、あれだけ傷つきながら、ホリーがどれだけ母の愛情を求めていたか。母を、どんなに美しく心に描いていたか。そして、残酷な想い出に打ちひしがれ、死のうとしたホリーを押しとどめたものは、トゲトゲの自分に向けてくれた、里親のフィオーナの愛情だった。それを思うと、子どもにとって、いや、人間にとって、愛してくれる存在というのがどれだけ大事かを痛感します。そこに、今必死で努力して努力して、報われないと思ったりすることもあるだろう、大人へのエールも感じ取れる気がします。大人があきらめちゃいけないんだという、作者の声が聞こえてきます。


この物語を書いたシヴォーン・ダウドは、生前、貧困地域や少年院など、本を読む環境にない子どもたちに向けての読書活動を支援する取り組みに関わっておられたそうです。その活動を通して、きっと様々な子どもたちの実情に触れていたことでしょう。この本は、筆者が亡くなってから上梓されたのですが、既に刊行されている『ボグ・チャイルド』『怪物はささやく』など、どれも読みごたえのある本ばかり。これだけ筆力のある人を失ってしまったことが、とても残念です。

2012年7月刊行
ゴブリン書房

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