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zoom RSS 人質の朗読会 小川洋子 中央公論新社

<<   作成日時 : 2011/03/08 00:17   >>

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画像小川さんの本は、出会うとまず買います。そして、読んでレビューを書きたいと想うのだけれど、なかなか言葉にならずに終わったりする・・というか、小川さんの言葉を受け取っただけで、私はもうすっかり心がしーんとしてしまって、このしずけさを破ってはいけない気になったりする。
この本も、近所の毎日寄る小さな本屋さんに2冊だけ入っていたんです。小川さんの新刊、買わなきゃ、と想ってすぐに買い、その日は頁を開ける暇がなくてそっと机の上におきました。そして次の日、長らく行こうと想っていた、茶屋町のMARUZEN&ジュンク堂に出かけ、半日うろうろ。自分では隅から隅までチェックした積り。ところが、ですよ。私はこの小川さんの本に出会わなかったんですよ。不思議やなあ、と想って。もしかして、この本は、密かに私に届けられた小川さんからの秘密の本かと、思った次第です。というか、そうだといいなあと想って、しばし妄想にふけりました。表紙には、触れたらその肌を傷つけてしまいそうな、すっくりと立つ真っ白な小鹿のような生き物が佇んでいます。もう、ここから密やかな小川さんの声が聞こえてきそうな・・。何しろ秘密結社から送って頂いた本ですから、そっとそっと、頁をめくりました。

この本は、この世界のどこからか送られてくる「声」を、ひっそりと聞く本です。いきなり理不尽に拉致され、人里離れた場所に監禁されてしまった7人の人質が、監禁されている小屋の中で、一つずつ自分の物語を語っていく。それは決してドラマチックでも、手に汗するようなものでもなく、本当にひそやかな、その人の心の中だけにそっと存在して、鳴り続けている物語です。小川さんは、語り部のように彼らの声をそっと記録していく。そして、そっと私たちに向かって解き放つ。彼らの声は静かで、決して人を高揚させるわけでもないし、何かの行動に駆り立てるものではない。しかし、その物語は私にこうして誰かの声を聴くことの意味を教えてくれる。

この物語で語られるのは、世界の片隅で忘れられていく人の人生だ。そのエピソードも実にささやかで、赤いドレスの女がいきなり尋ねてきたり、殺人事件が起こったり、めくるめく恋に翻弄されたり・・ということは、全くない。私たちのほとんどが、ただ毎日の晩御飯のおかずをそろえるだけの毎日を過ごしているように。
私がこの中で一番好きだったのは、「槍投げの青年」。電車の中で、えらく長いものを持っている青年の佇まいに惹かれた主人公が、何となく彼の後をついていってしまう。すると、その青年は、鄙びた運動場にやってきて、槍投げの練習を始めるのだ。鍛えた肉体がたどる様々な表情を、主人公はまるで自分だけのメッセージのように読みとっていく。真っ青な空。おだやかな空気。何度も繰り返される投擲がたてる音までその場で感じるように描かれるこの一日が、語り手の彼女の胸にしっかりと刻みこまれる。ありふれていて、でも非凡な一日。このほかの物語も、小川さんらしい、ありふれているようで、でも決して他にはない不思議な物語だ。片目のぬいぐるみを売る片目の老人に出会う話。公民館のB談話室で行われている、運針の会に紛れ込む話。いびつで、美しくて、静謐な小川さんだけの世界がそこに展開されていて、私は息をひそめてその世界に紛れ込む。

そして、小川さんの筆を通じて、私はわかってしまう。その一日、たった一つのその物語を手に入れることは、この世界を手に入れる事なんだと。それは、誰のものでもない世界。ひたすら生きて死んでいく、まさにハキリアリのような私たちが、何者にも侵されずに持つ、人間としての尊厳にも似た、ひそやかだけれど確固たる何かなんだと思うのだ。私の中にも、こんな物語があるだろうか。私が死の間際に一つ、何か物語を語るのならば、何を語るだろう。・・・そのたった一つが見つかるならば、私の人生もそう捨てたもんじゃない。そんな風に思ったりもした。

実は、この7人の人質たちは、既に死んでいることが物語の冒頭でわかっている。テープに残っているその死者の声が、ラジオ放送を通じて放送される・・それが、この物語なのだ。きっとその放送は、デジタルでクリアに放送されたりしない。雑音が混じり、時々かすれたりするその声を、私たちは必死に聞きとらねばらならないのだ。
その声は、どこかで大きな力に押しつぶされた瓦礫の下から聞こえてくるものかもしれない。あるいは、いきなり監禁された牢獄の中から聞こえてくるものかもしれない。あるいは、眼を開いたまま死んでいった、幼い子どものまわりから聞こえてくるものかもしれない・・・。この世界は、実はひそやかな声に満ちている。でも、私たちはそれに気付かない。がなりたてる大きな声は、否応なく私たちの鼓膜を揺るがすけれど、心はかえって麻痺してしまったりする。私たちの心を揺らし、その真ん中に届くのは、本当はこういうひそやかに語られる物語なんだと想う。声高に語られないこと。・・・この世界で小川さんが語らないと消えてしまう声に耳を傾ける時間は、私の大切な時間だ。小川さんとは一生お逢いすることもないのだけれど、ふっと、この世界ではないどこかでお逢いする気がする。その時に、小川さんに何かお話が出来るような・・そんな不思議を感じる眼をこれから持ち続けて生きていきたいと想う。今たくさん持っている荷物を下ろしたら、自分だけの物語を感じる旅に出たい。こんなささやかな願いが、明日を繋いだりするよなあ、と想って頁を閉じ、悲しい物語なのに、透き通る陽射しを浴びるような幸福感がありました。この本に出会えてよかった。


追記:家人が、この表紙の動物はやぎさんだという。そうかあ・・こやぎさんなのか。私にはそれがわからなかった。この子を、たとえば「やぎ」とか「こじか」とか思ったら、何かがこぼれ落ちるような気がしませんか?そのこぼれ落ちたものを、拾い集めたものが物語だな、という気もします。雑感でした(笑)

2011年2月刊行
中央公論新社

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