おいしい本箱Diary

アクセスカウンタ

zoom RSS 末裔 絲山秋子 講談社

<<   作成日時 : 2011/04/12 00:49   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像家に入ろうとしたら鍵穴がない。そんな馬鹿な、と何度も探しても、鍵穴はツルツルのまま。
そんな設定で始まる、冴えないおっさんの物語なのに、何故か最後まで読むと不思議に新しい光が射してくるような気がした。

主人公の省三は妻を三年前に亡くし、定年間近。家を出ていった子ども達とは疎遠になり、仕事にも対して打ち込めない。家の中は、死んだ妻の遺品を片づけることもなく、散らかしたまま・・・。世の中からも、人生からも取り残されてしまったような省三は、ある日家を、家自身に締め出されてしまう。困惑した彼は、妙に親切な乙という行きずり占い師に世話してもらったビジネスホテルに一旦落ち着くのだが、そこもなぜかビジネスホテルごとなくなり、今度は昔よくいった叔父の鎌倉の家に向かう。誰もいなくなったその家に、省三はやっと落ち着くが、そこで長年会うこともなかった娘に再会する。静かな、過去がそのまま息づくような鎌倉の家で、省三は父や叔父のことを思い出し、少しずつ自分自身の人生を振り返る。娘と久しぶりに話しをした彼は、自分の家に帰る決心をする・・・。

省三にとって、奥さんというのは人生の錘のようなものだったんだろうと想う。人との付き合いや、子どもたちと向き合うことや、自分の様々な感情や想いと向き合うこと。答えのなかなか出ない、あるいは出ることのない、ある意味めんどくさいことを、省三は奥さんに預けて、自分は仕事さえしていれば良かった。これは、典型的な昭和の男というやつですね。しかし、だ。それで逃げていられない時が必ず来る。ほんとは、その事に、奥さんと亡くした時に気づかなければいけなかったはずなのに、省三はその奥さんの死からさえも、逃げ続けていたんですね。おい、これではあかんぞ、と家のドアに教えられてしまった男の、これは放浪記です。繭のような混沌とした自宅を離れ、自分一人になってしまったことで、彼は初めて自分と向き合う。絲山さんは、こういう孤独なオッサンを書かせたら絶品に上手い。加齢臭漂う省三が、少しずつ自分に溜まった澱を剥がして、良くも悪くもむき出しになっていく様がユーモアとそこはかとない悲しみを湛えて描きだされていく。彼の孤独は、孤独になりきれなかった孤独、妻の死から歩き出せなかった人間の孤独だった。そして、結局省三は、たった一人だと想う自分が、実はやはり失ったと想っていた、人との関わりの中で生きていることにたどり着く。死んでしまった父や叔父、そして生きている娘も含めて、自分がやはり張り巡らされた命の経糸と横糸の中に浮かぶ存在だという事に気付いたとき、やっと彼は安心して一人になれたのだ。自分がどこかに繋がっていると思えて初めて、人は安心して一人になれるんだなと想う。

身近な人の死を受け止める、ということはほんとに難しいことだと想う。今回の震災でも、たくさんの人がその苦しみの中にいる。遺体でも、逢えた人はまだいい方で、一万人以上の人が、行方不明のまま・・。それらの人の家族は、友人は、親しい人の死さえも、受け止めることも出来ないのだ。時は止まったまま。心ゆくまで悲しむことも出来ないまま、心が凍りついていくような時間を過ごしていく、その心を想うと慄然としてしまう。「俺の祈りの時代は終わったのだ」と、最後に省三が呟いてこの物語は終わる。でも、悲しむことさえも奪われてしまった人の祈りは、いつか終わりが来るんだろうか。そんなことをこの本を読みながら、ずっと考えていた。答えは出ないけれども・・・。省三という人間の祈りに、最後まで寄り添いきった絲山さんの筆に、何やら私は静かな、穏やかな光を感じた。人の心に寄り添い、共に感じる力。それを感じる文学に、今は惹かれます。私は文学を生みだす力はないけれど、せめてそんな物語のことを、丁寧に語っていこう。そう思います。

2011年2月刊行
講談社

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

記事一覧

末裔 絲山秋子 講談社 おいしい本箱Diary/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる