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zoom RSS 彼女のためにぼくができること クリス・クラッチャー 西田登訳 あかね書房 YA Step!

<<   作成日時 : 2011/06/30 21:40   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

画像原題は[Staying Fat Sarah Byrnez]。つまり、[サラ・バーンズのためにデブのままでいる]という意味。どうして主人公はデブのままでいるのか?それは、親友のサラ・バーンズが、世にも醜い顔をしているから。幼いころに大火傷を負った彼女は、残酷な父親に形成外科の治療も受けさせてもらえなかった。そのサラと親友のエリックは、白鯨(モービー)と呼ばれるくらいの太っちょだ。実は、彼は今痩せようとすれば、すぐに痩せられる。水泳の特訓を受けているから。でも、彼は何とかしてデブのままでいようと努力しているのだ。サラという親友を失わないために。こう書くと、まるで心優しい二人の友情物語、という風情になってしまうけれど(確かに友情の物語ではあるのだが)この二人の主人公のキャラクターがとてもユニークに立ちあがっていることで、様々な問いかけを含んだ活きのいい物語に仕上がっていて、一気に読めました。

醜い、ということは正直に言って、この世界で最も辛いハンディの一つだ。でも、二人は、ただ黙ってまわりの冷たい目と扱いに甘んじていたわけではない。並はずれて賢いサラとエリックは、鋭いユーモアと知性、言語感覚を武器に、共同戦線を組んで闘ってきた同士なのだ。二人は、自分をいじめる同級生や、自分たちに冷たい視線を向ける副校長を、地下新聞を作ることで攻撃する、クールな二人なのだ。特にリーダーとしてのサラは常にエリックを引っ張る存在だった。ところが、今、そのサラが一言の言葉も発することなく、病院に入院している。毎日病院に通い、サラに話しかけるエリックだが、その原因がわからない。残酷で乱暴者のサラの父親、ヴァージル・バーンズにその理由があると踏んだエリックは、自分なりにその原因を見つけようとする。

サラは疲れてしまったのだ。彼女の顔の傷は、幼い頃父親にストーブに顔を押し付けられる、という残虐なもの。そのあと、母は自分を置いて逃げてしまった。その父親の暴力が再び始まりそうになったとき、彼女は生きることにとことん疲れてしまったのだ。人は闘うだけでは生きてはいけない。

・・・父親から逃げても、あたしみたいに醜い人間の人生は変わらない。父親にされたことからは永久に逃げられない。


この虐待のシーンを想像するだけで身震いが出る。そして、その傷を「顔」という女の子にとって一番気になる部分に背負って生きてきたサラの心を想うと、暗然としてしまう。ニキビが少し出来ただけでも、学校に行きたくない、と思ってしまう年頃なのに。その受け入れ難いことを受け入れて生きていかねばならない苦しみに、一人で立ち向かうのに、サラは疲れてしまった。でも、サラにとって幸せだったのは、そんな彼女の傍に、はねつけられても、拒まれても居続ける友達がいたこと。脂肪のたっぷり付いた身体で何百mも泳ぎ抜くメンタリティを持つエリックは、決してサラのことを諦めない。そのエリックの行動力が、サラの居場所を作っていく過程が、この物語の読みどころだと思う。訳をされた西田さんもおっしゃっているが、エリックの尊敬する先生であるシンシア、母親の恋人のカーヴァーなど、スーパーマンのようなかっこいい大人がエリックとサラを救うのは、確かに出来すぎ、という感じはある。実際にはこんな風に物事は進まないだろう。でも、そこには、こんな風に苦しんでいる女の子を救えなくて、何が大人やねん、という作者の想いが詰まっているように思う。

やあ。
よかったら、ここにおいでよ。
気に入ったら、
ここが君の席だよ。


これは、先日読んだ梨木さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』の中の言葉。群れの動物である私たちは、やはり人と人の関わりの中でしか生きていけない。そのことに絶望してしまうことは、子ども時代を過ぎて、この世界の現実にぶつかり始める若い世代に起こりやすい。サラ、エリック、という強いキャラクターに投影されて描かれるこの物語は、そういう意味で普遍的な問いかけを孕んでいると思う。文章がユーモアを含んでキレが良いので、読み手をぐいぐい引っ張っていく力があります。登場人物それぞれが自分の居場所をちゃんと見つける展開も、好感が持てました。

しかし、引っかかるところもいくつかあって、まず一つは、最終的な解決を力というか、武力に頼ってしてしまうところが、実にアメリカハリウッド的なんですよね。サラの父親を、エリックの母の恋人が制裁してしまう。普通の穏やかな男性かと思っていたら、実はアメリカ特殊部隊帰りのスーパーマンで、エリックを傷つけたあと、潜伏しているサラの父親を、回復不能なまでにやっつけてしまう。うーん・・。結局そこかい、と思ってしまう。この解決は、確かに勧善懲悪で、炭酸飲料を飲んだくらいにはすっきりするのかもしれないけれど、お腹の中で消化不良のごろごろが残ります。この理屈でアメリカはあちこちに武力で口出ししてしまってるんじゃないか・・とか、私は思ってしまう。そこがね、残念です。

もう一つは、この物語の中で展開される、ディベート。授業の中で行われる討論です。この物語の中で、サラとのやりとりに平行するもう一つの芯の部分です。授業の中で行われるディベートで、主人公のエリックVS優等生で厳格なキリスト教信者・マークという図式で展開します。取り上げられているのは、人工中絶の問題。性を扱う、とてもデリケートな問題ですが、アメリカでは特に宗教がからんでくるのでより難しいテーマです。カトリックの立場から、絶対に中絶を許すべきではない、とするマークに対して、エリックは反対の立場をとる。それは、世の中の固定化した価値観と反する立場にいる、アウトサイダーとしてのエリックとサラの生き方を反映しているとも言える大切な伏線です。その議論が、優等生のマークが実は女の子を妊娠させ、中絶させたことがあるんですよ、というワイドショー的暴露で終わってしまうのにも、疑問が残ります。そういう暴露ではなしに、一つだけの価値観で人を断罪することの危険を相手に納得させることは出来なかったのかなあと。女の子が、自分の中絶を皆の前で話してしまうということに、私は生理的な抵抗感を覚えてしまった。どんな状況であれ、物語の中であれ、それはオープンにしてしまうことではないだろうと思うんですよねえ、女としては。この中絶の問題は重く、デリケートな問題で、簡単に結論など出ない問題ではあるのですが。その是非はまず置いておいて、女自身が深く傷つく気持ちは、絶対に守られなければならないと思うから。しかし、YA世代にとっても、この問題は自分たちにも関わるテーマだけに、この議論を読むことで、いろいろと考えるきっかけにはなると思います。

作者のクリス・クラッチャーは、小説を書く他にも、児童虐待の保護活動や、ファミリー・セラピーに深く関わっておられるらしい。きっと、その現実は物語よりもとても厳しく辛いのだと思います。この物語の問題解決は、その上手くいかない現実のアンチテーゼなのかもしれないし、一つの祈りの形なのかもしれないですね。そう想ってため息をついて本を閉じました。

2011年2月刊行
あかね書房

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
この本は読んでないのですが。

児童虐待は最近よく話題になりますが、昔からあったことなのでしょう。なぜなのか何か理由があるのか不思議でなりません。

ずいぶん前にうろ覚えのタイトルですが、「フライパンで焼かれた少女」という実話を読んだことがあります。
セラピーを長期間受けた(元)少女は、自分を焼いた母親と和解しました。和解はこれからのために必要だったのかもしれないけれど、私だったら絶対許せないと思いました。

この小説の解決のしかたもすごいですね。
ときわ
2011/07/10 11:18
>ときわさん
コメントありがとうございます(^◇^)
児童虐待は何とも辛いことですが、無くなることは全くなく・・。「フライパンで焼かれた少女」ありましたね。タイトルを見ただけで読む勇気が当時はなかったんですが(汗)
私も、もしそれが自分だったら、和解することなんて出来ないような気がします。この物語のサラも、ずっと自殺願望と闘っていますが、自分が小さい頃に母親に愛された記憶を一生懸命拾い集めて温めようとします。どれだけ絶望の中にいても、やはり人は一人では生きられないというのが人間の希望でもあり、切ないところだと思いました。和解した少女も、やはり愛された記憶を探したのでしょうか。私も、その本読んでみます。
ERI
2011/07/11 00:11

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