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zoom RSS 春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと 池澤夏樹 中央公論新社

<<   作成日時 : 2012/04/13 00:35   >>

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画像この本を読んで色々考えているところに、京都でおこった怖ろしい事件の報道を聞いた。まだ詳細はわからないのですが、8人の方が亡くなったとか・・。理不尽という昏い穴は、私たちのすぐ横にぽっかり口をあけているのだと、こういうことがある度に思い知らされます。しかし、思い知らされることと、納得することは違います。どこに納得できないのか・・昨年私たちを襲った最大級の理不尽以来、ずっと抱えているこの宿題に、丁寧に向き合う一冊です。

池澤さんは言う。「自然は人間に対して無関心だ」と。それはきっと、生まれること死ぬことと、両方にも言えることなのだと思う。命は、本人の了解なしに与えられ、了解なしに奪われる。私たちはその非情からは逃れられない存在なのだ。・・・ということを、心の底から思い知らされたあの日を、決して忘れてはならないことを、池澤さんは、くり返し述べる。私たちは、忘れやすい生き物だから。この災害のるつぼのような日本において、この「忘れる」ということは、ある意味必要なことなのだけれど・・・あれから一年が経って、まぜかまた原発がなし崩しに「あり」の方向に向かっている。忘れやすすぎやろう、と心底思う。これ以上、生き物が住めない場所を増やしてはならない。自然は、そこに原発があるから、などという配慮をしてくれるものではない。このプレートの間に挟まれたもろい地面の上に、人智を超えるものを置いてはいけない。

あの日、流されていく車や家の映像を見たときから、ずっと心の中にもやもやがわだかまっている。それは罪悪感のようであり、悔恨のようであり、手を合わせて謝りたい想いのようであったり・・しかし、その想いを抱くこと自体、何か思いあがりのような罪の想いを感じたりしながら、一つところをぐるぐると回っている。今回、池澤さんの文章を読んで、こつん、とそれが何かわかる・・というのではないけれど、答えに近しいものを得られたような気がする。

人は、「死」に寄り添おうとする。死は、誰にでもやってくるものだけれども、私たちはそのたった一つの命に対して、厳粛な想いで向き合おうとする。それは、人間として私たちが在り続けることの基本なのだと思う。でも、あの震災は、私たちにその時間も余裕も与えなかった。あっと云う間に根こそぎ奪われてしまったたくさんの命に、向き合えなかった。

「彼らが唐突に逝った時、自分たちはその場に居られなかった。
その悔恨の思いを生き残ったみなが共有している。
このどうしようもない思いを抱いて、我々は先に向かって歩いていかなければならない。」

この悔恨の先に希望があるのか・・ある、と、池澤さんは言う。私も、そうだと思うし、思いたい。どうせ何も変わらない、とは思いたくない。かと云って、性急に震災や原発を、自分の権力を拡大させるために利用しようとする狡さにも加担したくない。震災に関する本を読むたびに、私は自分に「お前は何を知りたくてこの本を読むのか」と自問自答してきた。この本を読んで、その自分の問いに対する出発点が見えたような気がする。何て、鈍くて不器用なことだろうと、自分でも情けなくなるのだけれど・・。決して忘れないこと。あの日に失われたものが、ひとつひとつがかけがえのない、物語を奏でていること。その声に耳を澄ませていること・・・。人の生み出すたくさんの物語に、真摯に向き合ってきた池澤さんだから見えることに、共感できる一冊でした。

2011年9月刊行
中央公論新社

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