おしまいのデート 瀬尾まいこ 集英社

画像昔好きでよく読んだ『じゃりん子チエちゃん』のおバアが、言っていた。寒うてお腹がすいてたら、人間あかんねん、と。そやから、しんどい時はまずあったかいもんを食べなあかん。そう言うてチエちゃんとおバアは、テツを博打場から連れ出す前に、熱いおうどんを屋台で啜るんである。私は、何かあるとよくこのシーンを思い出す。そして、なんかあったかいもん、お腹にいれよ、と想うのだ。だから、今、避難所で寒くお腹が空いている方たちがたくさんいると想うと、人一倍寒がりの私はそくそくと辛い。映像を見ながら、あったかいおうどんを食べさせてあげたいと何度も何度も思った。
無力な自分は、大阪にいて出来ること、つまりお金を振り込んだり、物資を送ったりすることしか出来ないのだけれど。避難所にいる子どもたちはさぞかし辛く不安な想いをしているだろうなあ・・・。電気が復旧したら、せめて子ども用のテレビなど用意して、楽しいアニメなど見せてあげたら、と想ってしまうのだけれど。さる所のレポートには、避難所の子どもたちが、大人の間で楽しみもなく、感情を押し殺して過ごしている様子が書かれてあった。東テレが震災の時もアニメを放送していたことに、「不謹慎」という声もあるらしいけれど、あの津波の映像を、何度も何度も子どもたちに見せる必要もないと想う。子どもは、子どもであるというだけで、心の中に不安を抱えている。敏感な子どもたちの心は、大人たちの不安を、きっと何倍も増幅して心に受け止めてしまうはず。だから、子どもにとって、「変わらないこと」「いつもと同じこと」というのは、とても大事なのだ。子どもは、何度も読んでもらった絵本をまた繰り返し読みたがる。そこには、安心があるから。何度も読んでもらったぬくもりがあるから。子どもは、マンガやアニメも、何度も何度も読むし、何度も見る。今日も、映画館に行ったら、たくさんの子どもたちが来て、楽しそうだった。でも、避難所にいる子どもたちは見られない。「ドラえもん」や、「プリキュア」や、日ごろずっと見ているアニメを、ぜひ避難所の子どもたちに向けてテレビは放送してあげてほしい。もしくは、DVDなどをテレビと一緒に運んであげて欲しいと想ったりするのだけれど。節電は大事かもしれないけれど、子どもたちの心のケアもそれに負けず劣らず大事だと、切に思う。

・・・本の話を書こうと想っていたのに、えらく前置きが長くなってしまった(汗)

この『おしまいのデート』に描かれている暖かさは、まさに寒くてお腹が空いているときのおうどんの暖かさなんである。スペシャルな時の、オシャレをして食べるご馳走ではなく。カフェで頼むこじゃれたスイーツでもない。寒い日に、身体も心も冷えてしまった時に「はい」といって出される、どこにでもある味のおうどん。でも、それがやたらに沁みて忘れられなくなることって、ありませんか。そんな短編が5つ並んでいます。
一番泣かせたのが、「ランクアップ丼」。高校の教員だった上じいと、毎月玉子丼を食べている「俺」のお話です。家庭のぬくもりから遠い所にいた高校時代に、やんちゃするたびに上じいが「飯でも食おか」と玉子丼を食べさせてくれる。卒業して、真面目に働きだしてからも、「俺」はずっと上じいと月にいっぺん玉子丼を食べる。高校時代に上じいに奢ってもらった回数分、上じいと玉子丼を食べた「俺」は、今度から天丼を上じいと食べるんや、といつもの場所に向かうが、上じいは来ない。代わりに、上じいの娘がやってきて、「父は死にました」などと言う。上じいは、すっかり病魔に侵されていたのだけれど、月に一度「俺」を玉子丼を食べるために必死で来ていたのだった・・・。

もうねえ、ベタなんですよ。ベタなんですけど、あったかくて泣けてしまうんです。上じいは、俺に何にも押し付けない。特別なことも言わない。やっすい玉子丼を、一緒に食べただけ。でも、そのことが、少しずつ優しさやあったかさになって、俺に沁み込んでいったことが伝わってきます。この距離感がええな、と想うんですよ。頑張れ、とか。立ちあがろう、とか。しんどい時に、そんな事言われても、余計にしんどいやん・・・。テレビに溢れる「がんばろう」を聴くたびに、私はそう想ってしまう。上じいが、玉子丼をいつも黙って食べさせてくれたような。でも、自分の命をかけても一緒に黙って食べ続けたような。そんな優しさが伝わるようにでけへんもんやろうか。そんなことを、悶々と考えながらこの本を読みました。

2011年1月刊行
集英社

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