馬を盗みに ペール・ペッテルソン 西田英恵訳 白水社

画像この本は、大好きなぱせりさんのブログで紹介されていた本。もっとも、私はまずタイトルだけ控えて、まだぱせりさんのレビューは読んでいないんです。(このレビュー書いたら読みに行こうっと。楽しみ!)私は、新しい本を読むとき、なるべく誰のレビューも読まないで臨みます。自分の心を出来るだけ何の先入観も持たないでまっさらにしておきたいから。だから、この本もこの『馬を盗みに』というタイトルを見て、ぎゅっと惹かれた気持ちのままで読みました。うーん、もう何と言ったらいいか・・ありきたりな言葉だけど、素晴らしかった。文章が緊密で、ひとつひとつの言葉が立ちあがって鮮烈なイメージを生みながら沁み込んでくる。情景がそのまま自分の記憶のように心に刻み込まれる。生と死に彩られる、鮮烈な15歳の夏の思い出に、主人公と共に翻弄されつつ・・・ノルウェーの奥深い自然の美しさに魅了され、いつか北欧に行ってみたいという想いに拍車がかかってしまいました。

老境にさしかかった主人公のトロンドは、妻の死から3年経つことをきっかけに、仕事を整理してノルウェーの田舎、深い森の傍の家に移り住む。犬のリーラとだけ暮らし、電話もひかず、テレビもなく、黙々と古い家の修理をして暮らす彼の生活に、ある日波紋が起こる。隣の家に住む男が、少年時代の友人・ヨンの弟であることを知ってしまったのだ。トロンドの胸に、15歳の夏の思い出が鮮やかに蘇り、立ちあがっていく。
物語は回想と、現在の生活を交互に挟みながら進んでいきます。現在のトロンドの季節は、晩秋から初冬。凍てつく冬の予感・・それは、抜き差しならぬ老いの季節でもあります。それに対して回想される15歳の季節は、夏。それはそれは輝かしいむせかえるような夏の記憶です。まさに、大人へと差し掛かろうとする夏に受けた、洗礼のような「死」や「性」や「父との決別」が一気に襲いかかる思い出は、死に彩られるからこそ色濃く、生々しく・・・それでいて回想ならではの幻想性も湛えて非常に見事です。それまでは、父に守られた少年でいられたのに。ある朝をきっかけに、景色が全て塗り変わっていくんですね。この変化を捉える描写が、本当に見事。

その引き返せない夏は、ある朝近くに住むヨンという友人が、「馬を盗みに行こう」と誘いにきた所から始まります。本当に馬を盗むのではなく、近くの農場で飼われている馬に勝手に乗りにいこう、という誘いについていくトロンド。・・・・何かが起こってしまう日の回想というのは、その後起こる事件の予感も含んで「あのとき、もう私にはわかってた」と想うことがあります。運命の一瞬。あの時、ほんの少し何かが違っていれば、例えば信号に一回ひっかからなければ。一本電車を乗りすごしていたら。違っていたのに・・・運命はなぜかその時に向かってしまう。その緊張と不安の漲る刹那を、こんなに鮮やかに捉えた小説は少ないと想うくらい作者の筆は冴え渡ります。ヨンがいたいけな小鳥の巣を握りつぶす描写に、彼がはまり込んだ地獄の苦しみをかんじるシーンなどは、息をのむほど。その苦しみとは、ヨンが起きっぱなしにしていた銃で彼の双子の弟が、もう一人の弟を撃ち殺してしまったという事件。ヨンは、その後姿を消します。興味深いのは、その事件が、トロンドに性の目覚めを促してしまうこと。相手はヨンの母親です。息子の一人を亡くし、長男は行方知れずになってしまった。その不幸の中に鮮やかに立つ女に、ヨンは惹きつけられ、同時に自分の父にも同じものを感じます。初めて抱く、父への憎しみにも似た感情。そして、目覚めたトロンドは、おぼろげに父とヨンの母の間に流れる隠微なものも感じます。なぜ、ヨンとヨンの父は自分の父親を避けていたのか。少年のままなら見えなかったこと。しかし、まだ大人ではない彼には、見えそうで見えないこともたくさんある。その繊細さと「知らない」ことを手探りで感じようとするもどかしさが、はちきれそうに膨らんで輝く夏。
夏の短いノルウェーの田舎では、しなければならない肉体労働が無限にあります。牧草の刈り入れ、そして父親が無理にでも決行しようとする材木の切り出し。それらの労働と、初めて感じる女性への激しい欲求が眩暈のように少年の身体に与えていくもの。それはまさに「生きる」ことそのものです。ヨンについて、馬を盗みにいった少年らしさは、15の夏の終わりにはすっかり影を潜め、結局ヨンの母のもとから帰らない父と別れることで、少年は大人になります。

その夏に失ったものと、手に入れたもの。それが、50年以上たってなおトロンドの中で生き続け、意識しないままに育ち、彼をたった一人の生活に誘いこんでいく。そして、私は思う。もう一人の馬を盗みに行った少年・ヨンも、きっとあの15の夏の記憶と共に生きているのだろうと。彼の苦しみと放浪は詳しくは描かれないけれど、たった一発の銃声が彼から奪ったもの、そして自分で奪い返したものは抜き差しならぬ真実としてヨンを食べつくしたのだろうと想う。

私たちは、人生の中で、うまく言葉にならないことを幾つも抱えて生きている。何年経っても、何十年経っても、「あれは、何だったのだろう」と考えてしまうようなこと。50年も昔の夏の光は、ずっとトロンドの人生に影を落としてきた。それが良かったのか悪かったのか、そんなことではなく。ただ、そういうものであるという事が、確実な手触りでこの手の中に残る。そんな物語でした。私たちは、そのどうしようもなさを連れて一生を旅し、消えていく。誰しもが黙して語らぬものが、こうして物語として綴られる、私たちはそれを読み、心に浸すことで自分たちのどうしようもないことを一緒に胸に沈ませていくことが出来るように思う。言葉というものが持つ力を、非常に鮮やかに感じさせてくれる物語でした。

2010年12月刊行
白水社

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この記事へのコメント

ぱせり
2011年06月03日 09:03
ERIさん、ありがとうございます。も、もったいなすぎます~。
この本は読書メーターで知ったのです。

ERIさんの深く的を射た言葉の一言ひとことに、物語の余韻がよみがえってくるようです。
で、やっぱり一言で言えば・・・素晴らしかった!ですね。

ヨンのその後のこと、「食べつくしたのだろう」という言葉に胸が詰まります。でも、きっとそうなんですね。
そして、私たち一人ひとりがもっているどうしようもなさを物語を通して「一緒に胸に沈ませていく」という言葉にすごく共感しました。

ERIさんの読まれる本はいつもチェックしています。ERIさんのところで出会って、その後、宝物になった本がいっぱいあります。
とても頼りになる読書案内です。いつもありがとうございます。
ERI
2011年06月03日 21:21
>ぱせりさん
こんばんは!素晴らしかったですよねえ。こういう本を読むたびに、「物語を読む」ということについて深く考えさせられます。もちろん、言語の壁はありますが、時間も空間も超えて「読む」という行為で繋がることが出来るってとても素敵だと思うんです。物語がくれるプレゼントを、私たちとても大切にしてますよね。ぱせりさんの文章にもいつもそれを感じます。
また、ぱせりさんの紹介してくださる本、読みますね!