少年は残酷な弓を射る ライオネル・シュライヴァー 光野多恵子/真貴志順子/堤理華訳 イーストプレス

画像男子の親というのは難しい。いや、難しくない人もいるのだと想うのだけれど、私にはとても難しい…というか、年々難しさに気がつく、至らぬ親である。どうも子育てには向いてないのかも、と気がついた時には出産から十ウン年が経過していた。うちは息子二人とも不登校経験者であり、どちらかというと引きこもり系なのである。不登校というありふれた問題行動ではあるけれども、その渦中にいるときは、なかなか大変だった。もちろん、勉強が遅れることの心配や、学校という社会から外れてしまうことへの不安など、もろもろの大変さがあるのだけれど、その中で自分に問い続けたのが「なぜ?」という言葉である。これまでの育児を反芻して、考え続けた。答えなどないのである。でも、考えて考えて、眠れなくなるほど考えてしまう・・・それは今でも時折落ち込む深い落とし穴だ。重大犯罪者の成育歴は必ず問題にされる。また、先日大阪維新の会が撤回した「家庭教育条例案」などを見てもわかるように、一部の障害さえ、親の子育てに原因があるとされたりする。(あの条例案を見ただけで、あの会がどれだけ怖ろしい考え方の持ち主かということがよくわかる)そして、その子育ての責任は、大概母親が背負うことになっているのだ。「親がおかしいから子どもがダメになるのよね」という何気ない一言の重みを、いわゆる問題行動を持つ子を持つ母はずしりと背中に背負う。しかも、この物語の主人公の女性の背負う十字架は、比較にならぬほど大きいのだ。その恐ろしさに慄然としながら、上下巻を読みとおした。怖くて仕方なかったけれどやめられなかった―これは、並みのホラー映画なんか比較にならない怖いお話である。なぜかというと、他人事ではないから。重大事件を起こした息子の母親が綴る「あの日」までの日々のあれこれに、自分の母親としての心情や、自分の幼い頃のあれこれがふと重なるのである。だからこそ、やめられない。


物語はケヴィンという少年の母親エヴァの回想で構成されている。長い長い回想だ。愛する夫、愛する仕事を持って幸せに暮らしている女が、自由と引き換えに子どもを生む。自分のものではなくなる体。肉体的な苦痛。周りの干渉。これまで自分の人生に無かったあれこれに戸惑い、怖ろしい陣痛を乗り越えて出産する。しかし、生まれた子は、ことごとく自分を拒絶する。その拒絶の逐一が、よくもまあここまで神経を逆なで出来るよね、という物凄さだ。人の良いアメリカンを体現するような父親を見事にだまくらかし、子どもであることを逆手にとって、悪意をうまくカムフラージュするケヴィン。彼は非常に頭のいい子だ。他人の心を読み、周囲の目に映る自分をとことん計算し、策略を練り、実行する。例えば、彼が別の時代や、アメリカではない、例えば非常に困難な通過儀礼を子どもに課すようなシチュエーションに生まれていたら、きっと英雄になれていたのではないかと思う。まさに、天才的なほど母の嫌がることをする才能に背筋が冷たくなるのだけれど、その行動の下にある孤独と喪失感を感じてしまうのも事実なのである。鋭い爪を立てて狩りをする肉食獣がアメリカの中流階級という、子どもを徹底的に管理する場所に生まれてしまった。そのそぐわなさを、著者は母の祖国をアルメニアという複雑な背景を持つ国に設定するところから、見事に描きこんでいる。

そして、悲しいことに、ケヴィンの複雑さ、賢さ、残虐さ、隠し持った牙の大きさを理解していたのが、家族の中で唯一彼を愛せなかった母のエヴァなのだ。彼とエヴァは鏡の表と裏のような存在だ。憎しみあいながら、お互い良く似ていることもわかっている。母と子どもであるからこそ繋がる絆が、お互いを切り離し、傷つけあう。親子であるということは、なんと難しいことなのだろう。多分・・・私たちの深層心理には、肉親ならではの深い影の部分が渦巻いている。人生が、日常が、上手く回っているときは、私たちはそこを認識せずに暮らしていけるのだけれど、ふとどこかがほころびてしまったとき、マグマのように赤く吹きあげる。その時に見てしまうあれこれが、この物語には非常にリアルに描きこまれている。もちろん、ここまで怖ろしいことはないと想いたいけれど。ほんとにそう?関係ないの?あなたはエヴァを、こんなに怖ろしい子を生んで育ててしまったエヴァを、馬鹿だと笑えるの?そう、著者は問いかける。この物語が、全く自分と関係ない、と思える人は幸せだ。でも、私にはそうは思えなかった。エヴァは、どこかでおびえて苦しむ、もう一人の私のような気がしながら読んだ。そして、ケヴィンとエヴァが、とことん何もかも失ったあとに見つけたものに涙してしまった。安堵の涙でも同情の涙でも、感動の涙でもない。何て人はどうしようもないものなんだろうという涙である。ここにたどりつくまでに傷つけたものの大きさに対する悲しみ。何がどうあれ、ケヴィンの犯した罪は許せるものではない。そして、たったこれだけの答えを、光を見つけるために、こんなに遠い道を行かねばならない人という生き物に対するため息である。その道の遠さも、また自分の身に沁みる。こんなことを言うのは私だけかもしれないが、その道の遠さが、先日見た映画『わが母の記』に重なる。あれは、母に対する反抗や愛されなかった苦しみを、小説にぶつけていった作家の物語だった。あの映画の主人公が生涯かけて見つけたものを、ケヴィンはこの後の人生に苦しみぬきながら確かめていかねばならないのだ。

残酷な物語である。でも、読みながら、また読後に、いろんなことを考えさせてくれる物語だった。この、一歩間違うと生理的に受け付けなくなるだろう、センセーショナルな物語を、繊細な日本語に訳された御苦労はいかばかりだったろうと思う。これがどんな風に映画化されているのかとても興味深いので、是非見に行こうと思う。

2012年6月刊行
イーストプレス



この記事へのコメント

ぱせり
2012年07月26日 09:22
ERIさん、おはようございます。
わたしもこの本、読みました。それからERIさんのレビューを拝見して…コメントの言葉が出てこなくて、いったん帰りました。
改めて、もう一度読ませていただき…まず、思ったのは、ありがとう、でした。
ERIさんの大切な部分を読ませていただきました。
母になる、ってほんとになんて容易じゃないのでしょう。
>私たちの深層心理には、肉親ならではの深い影の部分が渦巻いている。
ほんとにそうです。そして、できれば、それ、目をそむけてみたくなんかないです。
それを、どうしようもなく見せられてしまって、この本はほんとに怖かったです。ホラーより怖いですよね、ほんとに。
いろいろなことを読みながらずっと考えましたが、まとまりません。
で、まとまらないから、次から次に、さらにいろいろと考えてしまいます。
ほんとに、どうしようもなくて、これからも延々と続く遠い道があって、でも、歩き始めてしまったからには途中でやめるわけにはいかないんですね。
わたしも映画、観てみたいと思います。
ERI
2012年07月27日 21:18
>ぱせりさん
コメントありがとうございます。
この本の一番怖いところは、「どうして?」という問いに対する答えに、最後までもどかしいくらい手が届かないところではないかと思います。読んでいる間中、問いかけ続けられて、青息吐息になりました(汗)エヴァとケヴィンのたどるこれからの道は苦しいものでしょうけれど、お互いに正直になった分、少しずつですが許しあえるようになるのかもしれないですね。「許す」って難しいです。ちょっと、今、自分で書いてため息が出ました(笑)彼らのその後を、知りたい気がします。
キャリー
2012年08月22日 15:07
はじめまして。
いつもブログを楽しく拝読しております。
さて、このページのタイトルが書名と異なっています。
ご確認ください。
ERI
2012年08月22日 20:58
>キャリーさん
ご指摘ありがとうございます。お恥ずかしい限りです。本当に助かりましたm(_ _)m